若者贅沢旅

休日、それは労働者の歓喜。この日、労働者は人間となり前向きな気持ちで未来を眺めるのである。

British Airways のパイロットの言葉に焦る私

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旅行先として、私は香港が最も好きなのであるが、その要因の一つには絶妙なフライトタイムというのがある。4.5時間。機内販売を確認し(実にその半分を占める、絵に描いたようなビジネスマンが出来上がるであろう物品を私は一切購入しないことを誓う)、何か口に含み(エコノミークラスで提供されるあの冷たいパンに何かをつけて食べるのが私は好きだ)、携帯する小説を読み(それがまさに読み始めの瞬間からば尚良い)、目が疲れて空を眺め(眺めていると見せかけて実はロールスロイスのエンジンの音を聴いているかもしれない)、いつのまにか眠りに落ちる(飛行機の中で寝るならば口は必ず閉じなければならない)。するともう降下開始を知らせるアナウンスと共に、明らかに異国と分かる海が眼下に広がる。あとはもう窓に張り付いて、滑走路に吸い込まれていく様子を見守り続けるだけである。

一方で、これだけ飛行機が好きな私だが例えばホノルル線ともなれば多少の緊張が伴う。特に、ホノルルからの帰路というのは厄介だ。強烈な偏西風に抗いながら必死に進むシップと共に過ごす10時間弱というフライトタイム。体を動かさずに過ごすには長く、飽きがくる(エミレーツA380にあるようなあのバーラウンジのような空間で、富豪たちと酒を交わすだけの社交力があればまた話は違うのかもしれないが)。

 


さて、私の人生はいま水平飛行に入ったと言っていいだろう。もうシートベルトを締めている必要はない。あの、不満や憎悪、侮蔑といった人間の燃料とも言うべき愛おしき感情たちもしばらくはお役御免である。次の休みは何処へ行こうかと考えるのは、飛行機に乗りながら次はどの映画を見るか、雑誌を読むか、本を読むか考えるのに似ている。そういう、安らかな時間に突入したのだが、はたして私の乗ったシップの行き先は香港か、ホノルルか、はたまたニューヨークか、、心地よいタイミングでまたベルト着用サインが点灯するといいが。

 


いずれにせよ、旅客機は私の人生を宿命的に象徴している。基本的には何も起こらず、何か起きれば対処する。オプションを自分から付け足すことはなく、あくまで起こった問題に対応するのだ。学生時代、頑張ったことはあるか?という質問がよくあるけれども、究極、私は何も頑張っていない。自分から頑張る状況を作るタイプではないから、強いていうなら受験、就活。これらは中長距離を飛ぶ旅客機ならば必ず遭遇するであろう乱気流のようなものだ。しかし、実はこれらに関しても必要最低限の出力で乗り越えたので特に頑張ったわけでもなく、全てに関し必要以上に燃料を消費するのはクールではないという感覚がある。これはつまり、、究極の怠惰を格好良く言い換えただけなのだが。

 


今はしばし、水平飛行を楽しむこととしよう。それでいいだろう。この間、操縦士にとって最も重要なことは最低限の注意を払いながら、後の有事に備えて体力を回復することなのではないか。

 


ブリティッシュ・エアウェイズパイロットが書いたエッセイを読んでいたら、その物の書き方、フライトという具体を鮮やかに抽象化するその発想に大きく共感し、同時に先手を取られたという感覚が私を焦らせ、このような文章を突如として、負けじと、紡いだわけであるが、、、まあ悪くないものが書けたということで、及第点。及第点、、いい言葉だ、、